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http://plaza.rakuten.co.jp/hyakusyoikki/diary/200912100000/comment/write/#comment
長くこの地域に住んでいるのに、気がついたのは、一昨日でした。
検索していて、旧ページでの写真に目が停まりました。この画像から3年経っているのですね。私は、特に鉄道ファンではありませんが、この佇まいは、ほうっておけず、短時間ですが二日に渡って、撮ってきました。スタンド脇の、比べれば、新しい車両も教わり、撮りました。
南三原駅まで1500mm 犬と散歩の方に聞けば、私がここに来る前からあったから随分前からだと、、、でも、石を投げる奴がいて、ガラスが割れて、それから急に錆が回ったみたいと教えてくれました。
勝手がら、近況をお伝えしたいと思います。
おはようございます
うわっ、すごいもの撮ってたんですね。これ車掌車ではなくコキフにあった車掌室です。赤錆色ですからコキフ50000の車掌室でしょうか(もともとが青ならコキフ10000かもしれませんが)。
いな穂※さんはひょっとするとご存じないかもしれませんが、85年3月改正まで貨物列車にも車掌が乗務していました。いわゆるヨが連結された列車は停車駅が多いので困りませんが、高速貨物列車(コンテナ)は停車駅が少ないためにトイレも設置されていました(じゃヨ8000は?となりますが、あの車両自体が新しいですし、製作された当時の時代的な要求もありました)。
ダイヤ情報の87年9月号だったかな?隅田川~札幌(タ)を3051「北海ライナー」に添乗しての列車追跡企画があり、コキフの室内の模様が載っています(どこかでバックナンバー見つけたらご覧ください)。当時、既に車掌常務は行われておらず、「久々にトイレ等を整備した」とか「通過駅が多いので非冷房でも窓を全開すれば快適」というレポートが印象的でした。この列車に使われるコキは専用の編成だったようで、コキフにはデッキに「北海ライナー」とテールマークよろしく記されていました(ワタクシもなんとか1枚おさえています)。
その後は車掌室部分の窓が塗りつぶされたり、車掌室そのものが撤去されてコキになったりしました。ひょっとするとその時に廃棄されたものが南三原へ運ばれたのかもしれません。
それにしても、いな穂※さんの視点おそるべし!バックナンバーを謹んで拝見するようにいたします。
では
早速、貴重な情報を頂きながらお返事が遅れて申し訳ありません。
「車掌車」ではなくて「車掌室」なのですね。掲載写真のタイトル等を変更させて頂きたいと思います。
画像で検索していましたら、九州の筑豊炭田、炭鉱跡地に、同じような車両が置かれていて、ブログで紹介している方がいました。
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/183.html
無断でのリンク紹介となりますので、この書き込みからコピペしてご覧下さい。
貴重な情報ですので、体験談も含めて、私のフリッカーのページ "「車掌室」JR 南三原駅まで 1500m 南房総市丸山町" へ「鉄格子が呼吸するとき 国吉の昭和チックな休日」のURL と共に、紹介、転載させて頂きたいと思います。勝手をお許し下さい。
結果的に一方的な、押しかけ掲載に成ってしまって申し訳ありません。
私は、特に鉄道好きでは無いのですが、子供の頃は、客室は、一等から三等まである蒸気機関車の時代でした。
そう言えば、小荷物を送るのには、鉄道小荷物(チッキ)なんてのもあって、赤帽さんがいましたね。。。
学生の頃の思い出は、夜行列車、上野発、急行「八甲田」が、思い出の列車でした。
記憶が、あやふやなのですが、途中、盛岡だと思うのですが、蒸気機関車を重連し、北上山脈を越えていたのだと思います。大雪が降って「野辺地」あたりで、立ち往生した記憶もあります。
定刻だと、朝の6時頃だと思うのですが、青森に着き、青函連絡船に乗船したと思います。(青函連絡船も、昔は、一等から、多分、五等船室ぐらい迄あったんじゃないかと思います。船底で、エンジン音がうるさくて、、、6時間ほど函館まで掛かったと思います。)
昔の列車は、走行中でも外部のドアが自由に開けられましたし、最後部の後部車両のドアも開けられた記憶があります。
確か、常磐線に乗って上野をと言うコースがあって、最後尾に行って、開いたドアから、線路を眺めていた記憶があります。
さまざまな、列車での旅の思い出が蘇ります、、、
京都から直江津 日本海側を北上「夕鶴」日本海の暗い海
こんな、散漫な、書き方なだと、時代の特定も出来ませんよね(笑)
手を引かれて、物心ついた頃に駅に連れて行かれて、自分の背丈より大きな車輪が、吹き出すけたたましい蒸気の音と共に目の前を通り過ぎた、あの思い出から、随分、時が流れたました。
お教え頂いた、車掌室を発見した時、自分も十分に、年を重ねていますから、朽ち行く車掌室に自分を重ね合わせてノスタルジックな感覚に陥ったのだと思います。
ただ、あの車掌室は、私よりも随分と年齢は若いようですね(笑)
色々と専門的な情報をありがとうございました。
お返事が遅くなって
ごめんなさい
古い記事をみつけてコメントくださるなんて
嬉しいです
コメント欄につづっていただいたtmさんの鉄道の思い出も
楽しく読ませてもらいました
ブログを紹介してくださって
どうもありがとうございます
車掌室がほかにも残っていないか
探してみたいです
こちらも旧ブログの古い記事ですが
君津市の清和ゆめの丘牧場で
車掌車ヨ8000形に会えますよ↓
http://plaza.rakuten.co.jp/hyakusyoikki/diary/200910160000/
お返事が遅くなって
ごめんなさい
国吉では
第二五之町踏切周辺が人気ですね
http://yahoo.jp/-ewjo6
鉄道写真家・中井精也さんも
お気に入りの場所なんですって
あと国吉駅に居候してる黒猫ちゃんが
たまにホームにいるので
運がよければ猫と列車の組み合わせも撮れるかもしれません
とんかつ亭有家
評判いいそうですね
私も食べに行ってみたいです
「たか」さま 「いな穂※」さま
何か、妙に違うと感じていました(笑)
私は「いな穂※」さんが2009年に撮った写真に出会いコメントを、、、あ、〜、〜、〜「たか」さんが、ずっとフォローしていて下さっていたので、「たか」さんは、ずっと「いな穂※」さんの事を言っていたのに。「まっこと、私の勝手な思い込みで(笑)「たか」さんが、このブログの主と、、、確かに、「たか」さんが、「いな穂※」さんってって、表現を「とっていて、私は、tm なのに???と(笑)
やっと、ご関係が判りました。やはり、私は、ますます認知症度アップ、、、笑えなない状況に (>_<)
「いな穂※」さんからの情報
>君津市の清和ゆめの丘牧場で
車掌車ヨ8000形に会えますよ↓
http://plaza.rakuten.co.jp/hyakusyoikki/diary/200910160000/
ありがとうございます。
機会をみて、R410を北上してみます。
なんだかおかしいぞ?と思ったら
やっぱり私とたかさんを間違えていたのですね(笑)
たかさんは
いつもこのブログにコメントくださる、
私よりもずーっと鉄道知識が豊富な方です
せっかくコメントいただいたのに
すぐお返事できなかった私も悪いですね
すみません
それから私のブログタイトルは
「鉄格子」ではなく「鉄子」が呼吸するとき、です(笑)
たった一文字くわえただけで
だいぶ印象がかわりますね
久留里線下郡駅のそばにも
車掌車が2つあったことを思いだしました
こちらはタマゴの無人販売機の倉庫?として
ボロボロになりながらも頑張っているようです
国道410号や久留里線沿いにあるため
鉄道ファンの目にもとまりやすいようで
いろんな方のブログでも紹介されてますよ
私の旧ブログでも
少しですが写真を載せてあります↓
http://plaza.rakuten.co.jp/hyakusyoikki/diary/200909090000/
なんかコメントが大盛況!お疲れ様です。
おかしいぞとワタクシも秘かに思ってましたが、そういうことでしたか。気にしないでください。まったくノー問題であります。ただし必ずしも知識豊富というわけではありませんので、一つお手やわらかに。
下郡のワフ、あれは倉庫でしたか。ダルマ駅が次々に撤去されていく中で健闘してますよね。ワタクシは現役時代のワフはどの程度撮っているのか。改めてアーカイブをひっくり返さなければなりません(笑もとい半泣)。実家の隣町にも84年春先に倉庫として大量のワム80000やワラ1が投入された場所があり、当時テレ朝で早朝にエアされていた「みどりの窓口」(国鉄の情報番組)が取材に来たこともありました(取材に来たのは小宮悦子アナ!)。最近は横を通ったこともありませんが、そろそろ寿命かもしれませんねぇ。
そうそう旧ブログ!拝見しましたが、こちらもいいですね。路線の切り替え以降は見事に「鉄」っぷりが発揮されています。ちょうど113の活躍に陰りが出始めた頃からのことがしっかりと記録されていますね。こういう日常記録の積み重ねが歴史の1ページとなるわけですから、いな穂※さんは歴史の証言者ともなりうるわけです。
なんだか主不在の間に盛り上げてしまって申し訳ありません。今後も鉄格子、もとい「鉄子が呼吸するとき」のますますの発展を祈念いたしまして挨拶の言葉と代えさせていただきます(なんだこりゃ)。
では